コラム
HCJ2022 特別企画対談
コンラッド東京 日本料理・風花 田村 勝宏氏
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トラベルジャーナリスト 泉美氏

技とコミュニケーション力でコンラッド東京の食を牽引する田村 勝宏氏
聞き手/写真 泉美 咲月氏
ゲスト コンラッド東京 日本料理「風花」 統括料理長 田村 勝宏氏
(以下敬称略)

田村 勝宏(たむら・かつひろ)
コンラッド東京 日本料理「風花」 統括料理長
1977年、東京都生まれ。97年4月、都内結婚式場にて修行を開始。老舗のすき焼き・しゃぶしゃぶ割烹ほか数々の日本料理店にて研鑽を積む。『コンラッド東京』には2006年11月に入社。日本料理『風花』キッチン(会席部門)に所属し、2010年10月には、副料理長に同レストラン最年少で就任。会席部門のチーフとしても従事した。2016年7月1日、日本料理『風花』統括料理長として就任。温故知新がコンセプトの『風花』における10年以上の経験や実績を活かし、同レストラン最年少の統括料理長として、会席・鮨・鉄板焼の全セクションの総指揮を行う。伝統や基礎を大切にしながら、若い感性と豊かな発想力、そして現代的な手法・スタイルで、進化した日本料理メニューの考案にも意欲的に取り組む。また、ワインカルチャーに注力する『コンラッド東京』ならではといえる、日本料理とワインやシャンパーニュとのペアリングの提案も得意とする。2016年度全国日本料理コンクールでの外務大臣賞受賞をはじめ、受賞歴も多数。
コンラッド東京の強みとは「コミュニケーション能力」の高さ
記憶に残るのは「味」なのか、「人」なのか。
ホテルレストランの料理長すべてが、お客様に接している訳ではないと思う一方で、お逢いし、そのパーソナリティに触れてこそ、出された料理の技と味とが合致することもあります。
『コンラッド東京』において、私が、もっとも特筆しておきたいこと、それは5つのレストラン&バーのクオリティが上質且つ均一であること。そう結論づける決定打となったのは2019年1月のことでした。
新年初の取材先は、マレーシア。真夜中、羽田発のクアラルンプール便まで疲れを癒し、お腹を満たそうと『コンラッド東京』の『水月スパ』とレストランを予約しました。それが日本料理『風花』であり、統括料理長、田村勝宏さんとの出逢いに繋がります。

(左)泉美 咲月氏(右)田村 勝宏氏
泉美:数々あるラグジュアリーホテルの中で、食の展開が豊かでクオリティが高い、どこを訪ねても満足できるレストランを所有していることは、当然のようで、なかなか難しいと感じています。だからこそ、お食事目的でお泊りいただきたい筆頭といえば、私にとっては『コンラッド東京』です。
田村:ありがとうございます。大変恐縮です。
泉美:このホテルの、すべてのレストランを食べ尽した上での私の自信でもあります(笑)。さて、田村料理長は、いつの入社になりますか?
田村:『コンラッド東京』の開業は2005年7月ですが、その翌年に入社し、2016年に二代目から、私が三代目となる統括料理長を受け継ぎました。初代からは奇をてらわないシンプルさ、二代目からは基本を押さえる丁寧さを学びました。そこに私なりのアクセントを加えて、現在のスタイルとなっています。
泉美:『風花』で初めてお食事をいただいた際、おいしさ、丁寧な仕事ぶりだけでなく、出て来る毎に、あとの料理がますます楽しみになる献立に感動しました。かつて香港在住のシェフを取材した際、美食の街・香港の富裕層ゲストは、アミューズ、前菜といった最初の段階でお手並み拝見とばかりに料理と向かい合い、工夫が感じられなかったら、最後まで食べずにお代だけ払って帰ってしまうと聞きました。こうなると随時、お客様を迎えるときは、真剣勝負だと驚いたものの、それ以降、私も目線だけは同様の気分で味わうようになりました。その意味でも、田村料理長のお料理は、最後まで楽しめました。仕事柄、頻繁に試食をしているので、正直、執筆すると忘れてしまう方が多いのですが(苦笑)。当時いただいた先附『かぶら寄せ 才巻海老 柚子味噌』、お凌ぎの『雲丹かけ御飯』、メインの蓋物『炙り神戸牛すき煮』、〆の『蟹釜炊き御飯 留椀 香の物』と、いずれもよく覚えています。とくにすき焼きは、斬新。老舗のすき焼き・しゃぶしゃぶ割烹店で修行をされていたそうですね。

2019年1月の献立から(左)『雲丹かけ御飯』(右)『炙り神戸牛すき煮』
田村:はい、そうです。基本を大切にしたいと考えているので、すき焼きの割り下は、伝統的な配合をベースにしています。その上でどうアレンジしていくかも重要です。王道のすき焼きならば誰でも作れますが、トマトを入れたら、さっぱりとした酸味を感じられますし、秋なら松茸など、おいしさを閉じ込めた一品に仕上がります。その時々の素材と合わせることで、何通りも料理ができあがりますし、バリエーションを広げることを大事にしています。
泉美:確かに『炙り神戸牛すき煮』は、トマトの甘酸っぱさが引き立っていて、ほどよく脂ののったお肉を最後まで飽きさせずに食べさせてくれ、絶妙でした。当時、田村料理長から、卵は温泉卵よりは敢えて火を入れた状態にしてから加えて鍋の中で火を通していると伺い、なるほどな、と。それで、卵が食材や割り下の旨味を吸ってホロホロに纏っていて、生卵を食べる習慣のない外国の方にも食べやすいかと感じました。
田村:そうですね、あの当時はインバウンドを意識した素材選びや調理が中心でした。『風花』は、会席、鮨、鉄板焼きを提供しておりますが、コロナ前となる一昨年までのインバウンドが主流だった頃は、やはり外国人のお客様のニーズに合わせた料理をお出ししていました。国産の食材を使いつつ、お客様のテイストに合わせた料理がメインでした。トリュフなどの高級食材を取りいれる、またカンボジア産の生胡椒をアクセントに加える、ソースもしっかりとした味わいにするなど意識してお作りしていました。
泉美:コロナ禍以降、日本人のお客様へとがらりと変わりましたが、お料理にも変化はありましたか?
田村:海外の方には受け入れられにくかったスッポンなど、日本人の方々には喜ばれることもあり、これまでとは違った食材を取り入れるなどの試みができています。
コロナ禍がもたらしたホテルレストラン離れ

浜離宮恩賜庭園や東京湾を見渡せる眺望が素晴らしい『コンラッド東京』の28階に位置する『風花』にて
泉美:昨年、4月に最初の緊急事態宣言が発令される訳ですが、それを境に、どんなことが起こっていったのでしょうか? そんな中、印象に残っているのは、ヒルトン・クリーンステイの健康・衛生管理の徹底の下、バー&ラウンジ『トゥエンティエイト』は、アフタヌーンティーの提供を続け、さらに『水月スパ&フィットネス』を再開し、お客様を引き戻したことです。周囲のホテルよりもずっと早かったですね。
田村:はい、宣言解除後の6月からお客様に帰ってきていただきたいという想いは、すべてのスタッフにありました。『風花』も同様にオープンしましたが、一番に客足が遠のいたのがお鮨でした。手で握る、対面で調理し、接客する、それがコロナの性質上差しさわりがでまして。そんななか、常連のお客様には、大いに助けていただきました。気にせずお食事に来てくださり励ましてくださって。とはいえ、飲食時の人数制限、定休日や営業時間の変更もあって、予約をお断りさせていただくなど、大きなご迷惑をおかけし続けることになって心苦しいばかりです。
泉美:ご心中お察しします。予約キャンセルは、お断りする身として、さぞかしお辛かったかと。
田村:当然、お叱りを受けることもあれば、次回に期待してるよと温かい言葉をいただくことも多く、ありがたいことでした。一方で開業以来、贔屓にしてくださっていた常連様の中には、お越しにならない方もいて……。時節柄、こちらからのご連絡を控えてはいるものの、早くお元気なお顔を拝見したいなと日々願っています。
泉美:コンラッド東京のメリットとデメリットは、駅からの距離(JR新橋駅から約7分)にあると思います。メリットとしては開放感。足元には浜離宮庭園の緑、近隣のビルからも離れ、海も見えるし高速道路も見え、遠くに飛び立つ羽田の飛行機も見える。シティリゾートを感じることができます。とはいえ、コロナ禍となると、外出も阻まれ、立ち寄りにくいスポットになってしまったようにも思えます。
田村:足が届く、そこに尽きるかもしれません。お客様の声としては、ホテルだからこそ、衛生管理が行き届いて安心ですねという方もおいでならば、やっぱり会食は避けるべきだとお考えの方も当然おいでです。こればかりは終息を願うしかありませんが、10年以上来てくださっているご常連の方の中には、まったくご連絡がない方もいらっしゃいます。私から「大丈夫ですか?」「お元気ですか?」とお声掛けは控えさせていただいていますが、早くお逢いしたいという思いでいっぱいです。
泉美:今年3度続いた緊急事態宣言は、容赦なく飲食店を攻めたてましたよね。しかも、酒類提供禁止も重なりました。やっと感染者数も減ってきたので、さぞかし腕を振るい、お客様をお迎えしたい気持ちで一杯かと思います。早くお顔を拝見したいですね。
ホテルレストランで得た、働きやすい環境とは?

秋のメニュー一例 秋味の味噌幽庵朴葉焼
泉美:街の飲食店で修行を積まれ、そこからホテルレストランに転職された訳ですが、働く環境はどう変わりましたでしょうか?
田村:28歳で『コンラッド東京』に入社いたしました。まず、驚いたのが「ホテルというのは、素晴らしい、働きやすい環境の職場なんだな」ということでした。ホテル業界ならば当然かもしれませんが、お皿を洗ってくれる人、床を掃除してくれる人がいて、様々な担当がいて料理に専念できるのだということが驚きでした。
泉美:そうですね。とくにヒルトンという外資系のホテルブランドだからこそ、システマタイズされた利点がありますし、料理に集中させてくれる良さがあると思います。
田村:欠点があるとしたら、従業員食堂があるので賄いが作れないことですね(笑)。賄いは料理人の修行の一環になりますから。とはいえ、ホテルのシステムとして、トレーニングシステムもあるので、「今日は天ぷらを作ろうか」などと私から提案して、若手に作ってもらう機会を設けています。自分で献立を考える、料理を作る、失敗しても挑戦を続けるのは大切なことであり、自信にも繋がります。そして、『風花』ばかりでなく、洋食、中国料理、ペストリー、バンケットというキッチンが融合している点も、ホテルの長所です。シェフたちの年も近いこともあり、仲が良く、チームワークを生み出しています。ソムリエの提案でワイナリーとコラボしたディナーを開催するなど、試みが豊富。聞きたいことがあれば、気軽に質問できますし、レスポンスも早く貰えます。料理のジャンルにこだわらず、皆が質問をし合ったり、技法を共有したり。それは、私としても、コンラッド東京の長所のひとつかなと思っています。
泉美:国内外の食材に取組め、厨房機材も優れている。食の飽くなき追及を挑みたい料理人にとっては恰好の好い職場ですね。一見、表面には見えませんが、スタッフのチームワークはお客様に伝わってしまうものだと思うので、その点、コンラッド東京の美味の起源は、田村料理長ばかりでなくFBの皆さまにあるのを感じています。シェフ、ソムリエ、サービスの方々の意欲と探求、なによりホスピタリティにいつも感激しています。さて、今日にいたるまで自ら改善されてきた点を教えてください。
田村:以前は宴会があったとしたら、人数と予算を聞いて献立を考えるのが主流でした。私の代になってからは、国籍、年齢層などご出席されるお客様のリサーチから始めます。例えば高年齢層のお集りならば、ボリュームや品数の多さではなく、素材の質を上げて満足感を得ていただくなど、臨機応変に対応させていただいております。
泉美:バンケットメニューとはいえ、オーダーメイドに近い形なんですね。そもそも田村料理長にとってラグジュアリーホテルのサービスとはなんでしょうか?
田村:あくまでも私のイメージですが、煌びやかで、豪勢だなと思うんですね。例えば妻や子供の記念日に利用したいな、その価値があるなと思うのがラグジュアリーホテルであり、お客様も同様かと思います。だからこそ応えたいものです。まずは、なんのお祝いなのか、どんな方々がお揃いになるのか、それを事前にお伺いすることで料理ばかりでなくきめ細やかなサービスをご提供させていただく。その際に各レストランのシェフたちからアイデアを貰ったり手を借りたり。私は和食のせいか、お祝いのデザートのチョコペンが苦手なんですね。そんな時には、「ちょっとお願い!」と助けて貰っています(笑)。
泉美:お客様にご満足いただけ、料理人同志も切磋琢磨できる。これこそ、ホテルで働く醍醐味ですね。
田村:やはり、人は一人では何もできないものです。誰かに支えられてこそ、幸せがある。私が今ここで、料理長でいられるのは、若い子たちが一生懸命尽して支えてくれ、期待に応えてくれるからです。そうして双方の愛情は深くなる一方で、思い通りにはいかないこともあります。若いですしね。
泉美:そういう場合は、どう指導されているのですか?
田村:できないなら、それでいいと見切りを付けるのは嫌な性分なんですね。できるできないで人を判断したくない。徒競走には必ずゴールがあり、1着、2着と順位がつき、評価がわかれますが、全員ゴールはできます。遅い子、不器用な子がいても私はあきらめません。励まし、時に叱咤しても、じっくり時間をかけて教える。最近ならば4年かかりましたが、やっと芽が出て育ってくれた子もいます。
泉美:見放さないやさしさは、教える側にとって忍耐でもありますね。
田村:もちろん、ずっと優しいわけじゃないので叱ることもたまにあります。その子の場合、自分で料理を考えられるレベルにこれています。「4年も!」と驚かれる方もいるかもしれませんが、時間がかかった分だけチームとしても成長できたという実感があります。そもそも良いチームワークが、良いホテルを作るのではないかと私は考えます。
泉美:人が働きやすい環境があってこそサービスのクオリティもあがるということですね。とはいえ一般的に料理人の世界というのは厳しい印象があります。
田村:コンプライアンスの問題は別にしても、叱るだけでは人は伸びないと思うんです。しかし教える側の感情で委縮させてもいけない。私は、昔の「ばかやろう! こんなのもできねえのか!」とか「背中で見て覚えろ!」といった指導があった教えて貰えなかったギリギリの世代でした。今は、そこから180度以上変わっています。現在は、教え、食べさせて、納得させる。おいしいものばかりでなく、まずいものも食べさせ両極を教える。飴と鞭という言葉でいうならば、私にとってはやさしくするのが飴ではなく、時間をかけて教えることが飴なんだと思っています。
泉美:おっしゃる通りですね。時間は、かけないと無理なんです。ごく稀に天才がいて、教えなくてもできる。それはほんの一部の人です。時間を与えられて取得した技術や感覚は、結果、本人の自信に繋がるのではないでしょうか。
田村:料理長になって5年になりますが、この1、2年で自分自身が変わったのは、褒めるようになったこと(笑)。「こんなこともできるようになったの?」と言葉で伝えています。また、本当に人のことをよく見るようになったと思います。この子は、今日は機嫌が良いなとか、落ち込んでいるなとか見ていると、その感情が盛り付けひとつにも反映する。「なにかあったの?」と気にかけてあげることで、本人の自覚や感情のコントロールにも繋がります。
泉美:褒める、気に掛けるというのは、叱るより人を伸ばすと思います。そして、田村料理長がおっしゃる通り、見ているからこそ気づく。かつて「ばかやろう!」と叫んでいた親方連中は、もしかしたら、叱ることを知っていても、褒めることというか、褒められることを知らなかったのかもしれませんね。褒めて、手を掛けて育てる、次に必要なことはなんでしょうか?
田村:考える力を伸ばすことです。手取り足取り、レシピを伝えて、作らせるのではありません。羅列された献立だけをみて、頭でイメージをする。料理は脳で作るものです。頭で味付けできるようにする。いつかは必ずなれます。考えるためには調べなきゃいけません。すると調べる努力をするようになり、書を読み、旅にも出るようになる。人にも尋ねようとします。そこでやっと自立を迎えます。
泉美:その環境が揃っているのがラグジュアリーホテルの長所ではないでしょうか。様々な食のプロがいて、お客様も多国籍。充実した環境と体験、コミュニケーションの場なのですから。可能性の広がりもあります。一生フランス料理しかないと思っていた外国人シェフが、鮨の天才として目覚めるというミラクルや人生のシフトチェンジも、もしかしたらホテルの中では、即座に可能かもしれません。コロナ禍で大損失を受けた飲食、そしてホテルですが、田村料理長と再会し、お話しを伺って、未来はやはり明るく眩しいものだと思い直すことができました。
常々、私にとって「食のバランスが取れた存在」であったコンラッド東京の秘訣は、田村料理長を始めとしてスタッフの皆さんのバランス感覚とコミュニケーション能力にあると納得できました。未来を見据え、どんな人に育てられるか、師匠を選ぶかで人生を左右します。現在、料理の道を目指す学生の方や、道半ばの料理人の方にとって、コンラッド東京はまさに未来を感じさせる存在だと実感しました。
トラベルジャーナリスト/文筆家/写真家
泉美 咲月 氏
1966年生まれ、栃木県出身。伝統芸能から旅までと幅広く執筆・撮影・編集をこなし、近年はトラベルジャーナリストとして活動。海外渡航歴は44年に渡り、著書には『台湾カフェ漫遊』(情報センター出版局)、『京都とっておき和菓子散歩』(河出書房新社)、『40代大人女子のための開運タイごほうび旅行』(太田出版)他がある。アジア旅の経験を活かし、2018年、自身運営の『アジア旅を愛する大人のWebマガジン Voyager』を立ち上げる。タイ国政府観光庁認定 タイランドスペシャリスト2019及びフィリピン政府観光省認定 フィリピン・トラベルマイスター2021。また、日本の医師30万人(医師の94%)が会員である医療ポータルサイト『m3.com』内、Doctors LIFESTYLE編集部にて編集部員兼、医師に向けた旅や暮らしのガイドを務めている。ホテルの扉が1軒でも開いている限り、取材を続けたいという想いのもと、コロナ禍においても一時期を除き、週に1記事の頻度でラグジュアリーホテルの取材・執筆を続けている。
