コラム
HCJ2023 特別企画対談
パークホテル東京 総支配人 鈴木隆行氏
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トラベルジャーナリスト 泉美氏

聞き手/写真 泉美 咲月氏
ゲスト パークホテル東京 総支配人 鈴木隆行氏
(以下敬称略)
バーテンダーから総支配人に転身
「ホテル」は、人の人生を大きく変える媒体であるとお気付きでしょうか。働く人はもちろん、旅人の運命も変えてしまう劇的な場所です。
私にとって、初めて「ホテルは特別な場所である」と感じたのが、今から30年以上前。栃木県那須町に創業した『二期倶楽部』に出逢ったときのことです。
そして、その『二期倶楽部』のバーのオープニングスタッフであり、バーテンダーであった鈴木隆行さんが、のちに汐留『パークホテル東京』の総支配人を務めていると知り、大変驚きました。なによりバーテンダーの職にあった方が総支配人に就任という話しは聞いたことがなく、一方でFBの仕事に就く方々の光を見つけた思いがしたのです。
これからのホスピタリティ業界は、輝くスターなくしておもてなしも、雇用も成り立ちません。そして、それには憧れを抱く存在があるべきです。どんな職種にあっても、頂点に立つという目標があるべきなのです。だからこそ、鈴木さんは、この連載にお招きするにふさわしい方のおひとりです。

鈴木 隆行(すずき・たかゆき)
ニューヨーク国際バーテンダースクール卒業後、日本国内外のホテルやバーでカクテルの真髄を学ぶ。那須にあるデザインホテルズ 二期倶楽部のメインバーのオープニングを一任され6年間勤務。2003年4月より芝パークホテル バーフィフティーンの店長に就任。同年9月、パークホテル東京のメインバーを立ち上げる。芝パークホテルにてバーテンダースクールを主宰。世界各国でのカクテルセミナーにてジャパニーズ・バーテンディングの普及にも務めている。2014年にパークホテル東京・副総支配人、2018年に同総支配人に就任、2023年にパークホテル東京・取締役総支配人。
バーテンダーから総支配人という人生
泉美:私がいま、こうしてホテルの取材を人生の集大成として取り組んでいるのも、気づきとなったホテルの存在があったからです。そのひとつが、かつて鈴木さんがご勤務されていた『二期倶楽部』でした。
鈴木:1986年に創業した『二期倶楽部』は、創業者の北山ひとみが心血を注いで生み出したホテルです。建築や庭園は、渡辺明さんや杉本崇さんが手掛け、建物は栃木県宇都宮市大谷町で採掘される大谷石造り。広大な敷地に開業当初は、本館に僅か6室のみの客室(最終的には30室)。ヘリポートがあり、各界の著名人もおしのびでご宿泊におみえになる、そんな特別なホテルでした。
1986年、那須高原に誕生したリゾートホテル。経営は、北山ひとみ氏率いる株式会社二期リゾート。「自然との共生」と「アート・オブ・ライフ」をテーマに日本独自のホスピタリティの本質を追求。4万2千坪の敷地に拡がる豊かな自然環境と、その洗練されたホスピタリティは高い評価を受け、2013年には日本経済新聞「NIKKEIプラス1」の「ホテルで楽しむ優雅な朝食」特集の全国第1位、オーストラリア・ International Traveller誌「Best 100 hotels」に日本から唯一選出。しかし、北山氏による経営は2013年に終了した。
泉美:まさにバブルの最中の開業であり、時代に似つかわしい存在であったと思います。しかも鬼怒川温泉や日光が栃木県の顔であった時代に、クリエイティブで洗練された空間を提案。今から37年前になりますので、当時を知らない方の方が多いのが残念なくらいです。
『二期倶楽部』は、文化リゾートホテルの先駆けとして世界に知られ、日本では早々に「世界最高峰のラグジュアリーホテルの会員組織」といわれる「SLH(スモール・ラグジュアリー・ホテルズ・オブ・ザ・ワールド)」に加盟。地域と、そして周囲の自然の共存しつつ、飲食の場では、地産地消の先駆けでもありました。
ではまず、鈴木さんのホスピタリティ業界でのヒストリーからお伺いします。バーテンダー修行を始めたのは海外だそうですね。

パークホテル東京のアーティストルーム「相撲」(木村浩之氏作)にて、鈴木隆行総支配人
鈴木:実は和食の修行でバンクーバーに渡ったのがきっかけでした。カナダでは翌年のビザが下りないということがわかり帰国しようと思っていたところ、マイアミで働かないかと声をかけて貰いました。まずは、ちょっと行ってみるかと旅行がてらに訪ねることに。
料理人ですから、せっかくならとレストランを食べ歩くのですが、そこはひとり旅。見知らぬ土地では淋しく心細く感じ、カウンターで食事をするようになりました。その都度、カウンターのなかで仕事をするバーテンダーに、とても親切にしていただいたんですね。それで「いい仕事だな」「居心地がいいな」と思うようになりました。
結局、その後帰国することになるのですが「アメリカでバーテンダーの道にチャレンジしたい!」と夢を抱くきっかけの旅となりました。そこで六本木のバーに務めるなどし24歳で「ニューヨーク国際バーテンダースクール」に入学。本格的に勉強することになります。
講師は、ニューヨークの現役トップバーテンダー。教本自体は日本のものと違いがないものの、さすがにお話しも客あしらいも上手。なんといっても昨夜バーで起こったお客様とカクテルのエピソードを話してくれるのが刺激的でした。他に偽札の見分け方や人種別のマティーニのオリーブの数など、日本では教わらない授業がユニークでしたし、海外で働くことに役立ちました。
泉美:オリーブの数に違いがあるのですか?
鈴木:例えばアフリカ系アメリカ人ならばオリーブは3つつけるとか、イタリア人ならば、種の入ったスタッフ・ド・オリーブを使わないと怒られるとか(笑)。
泉美:人種の坩堝にあるバーらしい、多様性のある教育ですね。そうした希少な経験を積んだのちにご帰国、そして『二期倶楽部』へとご縁が繋がるわけですね。しかも、今でも那須にご自宅を構えておいでで、この『パークホテル東京』に通ってらっしゃるとか。
鈴木:栃木県にはまったく所縁はなかったものの、ご縁がとても強かったようです。当時、「新しくできた会員制のホテルが那須にあって、バーテンダーを探している」と紹介を受けました。104にも載ってないから電話番号も調べられない。建築雑誌以外の取材もほとんど受けたことがないので、まさに知る人ぞ知る宿でした。
小さなプロパティですからスタッフも数名。恵まれた自然のなかで、あの土地でしかできない試みを致しました。近くの川にわさびを植えてわさび田と作ろうとしたり、敷地内にハーブを育てたり。日光の天然氷を入手してカクテルを作ったりするなど、振り返れば、とても贅沢な時間でした。
それぞれのスタッフが『二期倶楽部』の名称に掲げた「一期一会ではなく、二期訪ねていただくホテル」を、おもてなしでどう体現するかに努めておりましたし、研ぎ澄まされた感性のお客様が、そこに集まってくる、そんなホテルでした。
泉美:おもてなしの在り方もまた独自のものがありました。今でも鮮烈に覚えているのがお夜食に届くおにぎりです。一泊ディナーと朝食の二食付きのオーベルジュスタイル。ただし、近隣にコンビニもなく、飲食店も夕方早々に店を閉めてしまう環境です。もちろん、ホテルに売店もない。お客様をひもじくさせないようにと、ディナーのあとにおにぎりが届く(笑)。
鈴木:スタッフにとっておにぎりを作ってお届けするのが一日の締めくくりでした。可愛いおにぎりを3つ握り、香の物を添えて客室へと運びます。お客様も「もう食べられないよ」と言いつつも受け取って召し上がってくださいました。
泉美:足りないものを自分たちのできることで補う、そんな素敵なホテルでした。私を利用していた時期と、鈴木さんがご就職された時期がすれ違っていて、当時はめぐり逢えていなかったのですが、こうして「ホテル」を介して出逢うことができて、とても嬉しく思っています。
総支配人としての信念を貫く

リクエストに応え、久しぶりにバーカウンターに立ってくださった鈴木氏。カクテルに添えたミントは那須の自宅から摘んできたもの
泉美:実は、私が鈴木さんの存在を知ったのが2020年のことでした。『ザ・リッツ・カールトン東京』の『ザ・バー』を取材させて頂いた際、ヘッドバーテンダーの和田健太郎さんの古巣がこのホテルであり、鈴木さんは師であり、今も尊敬し続けるバーテンダーだとお名前を伺ったのがきっかけです。
しかも『二期倶楽部』にいた方だと教えていただいて、ハッとした訳です。自分の原点となったホテルに関わる方と今から繋がれるのだと。
では、いよいよ核心に触れさせていただきたいのですが、どうしてバーテンダーであった鈴木さんが『パークホテル東京』の総支配人へと駆け上がられたのでしょうか?
鈴木:それはまだ『二期倶楽部』に在籍しつつ、那須の森のなかで別荘族向けのバーを経営していた頃のことです。2003年にデザインホテルが開業するということでお声をかけていただきました。
せっかくだし、ちょっとお話しだけでも聞いてみようかな?と思ったところ、当時の社長を務めていた前社長から直接面接しましょうと。そして面接では、「今の東京には本物がないんだよね」と、「ここで本物を作りたいんだ」と話してくださいました。その言葉に打たれてお引き受けすることになりました。『二期倶楽部』は円満退社で送り出してくれました。
泉美:そうして開業した『パークホテル東京』のバー『ザ ソサエティ』で、オープン早々に一晩でマティーニを68杯売り上げるという快挙を成し遂げる訳ですね。その一方でいわゆる「鈴木塾」を開設。若手バーテンダーの育成に熱を注がれました。
鈴木:外国人も含めると300人ほどの卒業生がいて、それぞれに活躍しています。和田くんも、当ホテルの現在のバーマネージャー、南木浩史もそうです。皆、国内外で活躍してくれています。
しかし、2008年のリーマンショック、さらに2011年に東日本大震災に見舞われる事態となり、ホテル経営そのものに暗雲が立ち込めるようになっていきました。
そこで、今一度自分たちのホテルの魅力を再確認すべきと皆が我に返ったのです。「デザインホテル」という看板にぶら下がっているだけじゃダメだと。
泉美:それを機に2013年の10周年に向けたリブランドを実施。現在のスタイルである「泊まれる美術館」へと変貌を遂げる訳ですね。
「日本の美意識が体感できる時空間」をコンセプトにロビー階他、あちらこちらにアートを展示。さらに様々なジャンルでご活躍の作家を招いて部屋の壁に直接絵を描く「アーティストルーム」を創作性の高いホテルへと変化していきました。

アーティストルーム「龍」(画家・阿部清子作)。それぞれの作家が放つジャポニズムに外国人の多くが引き寄せられるようになった
鈴木:その際に気づいたらブランドマネージャーという立ち位置におりました。それまではバーを媒体にカクテルを作ったり、イベントを手掛けたりしていましたが、ホテルの経営に参画していくのは初めての経験でした。
泉美:とはいえ、誰にでもできることではありません。
FBでの経験は、鈴木さんのシフトチェンジに役立ったでしょうか。
鈴木:バーテンダーという仕事は、規模は小さいのですが、ビジネスの全体像を掴みやすい仕事だと思っています。コンセプトを設けてカクテルを作りながらコスト管理をする。接客をしつつ瞬時に伝票を付けるなど、日々のワークフローで経営を学んできたというか。
バーテンダーであれば「お客様を何人呼べるか?」「何杯売り上げることができるか?」が課題です。一方、総支配人は決して表に出ず、組織を作り、ビジョンを設け、ホテルが醸し出す雰囲気をお客様に感じて頂ける土台作りをしなくてはなりません。
有難いことに今でも『二期倶楽部』時代のお客様が訪ねてくださいますが、私がお客様を独占するのではなく、ひとりでも多くのスタッフたちと会話の機会を持って欲しいと考えます。ですから、トラブルがあった時は別ですが、私は敢えてバックヤードに控え、表舞台に立つバーテンダーとは真逆の業務に徹しています。
そうした信念を持つようになったのは『エース・ホテル』の共同創設者であるアレックス・カルダーウッドさんに影響されたことも一因です。ロサンゼルスの寂れた雑居ビルや映画館を改装して作ったのが『エース・ホテル』ですが、アメリカの厳しい階級社会のなかで、お客様と従業員の階級を取り払うことに努め、スタッフは私服で勤務。さらに誰でも「エース」になれるからとホテル名を命名したことに共感しました。
そういう点では『二期倶楽部』と『エース・ホテル』は、似たコンセプトを持っていますし、今の『パークホテル東京』もそうありたいと考えます。
泉美:バーテンダーからホテリエとなり、総支配人となった鈴木さんだからこそ伺いたいのですが、コロナ禍を経て、これからのバーテンダーに求められることはなんでしょうか?
鈴木:やはり「世界」を意識する、「世界」を見て、実際に身を投じることだと思います。これまでアメリカやイギリス他の各国でバーイベントを行ってきました。
そこには大勢のバーテンダーが詰めかけてくれるばかりか、日本に来て勉強したいと志願。実際に来日し私のバースクールを卒業した外国人も少なくありません。しかし、海外で日本人バーテンダーと出逢うことはなかったんですね。それだけ消極的だということです。
だからこそ、私は敢えて卒業生たちや、うちのバーテンダーたちを海外に連れ出し、体験させるようにしてきました。
コロナ禍の間も海外に向けてオンラインセミナーを開き、海外にアプローチし続けました。カクテル300種の写真を掲載したカクテルブックの制作にも取り組みましたが、これもコロナで時間があったからこそできたことです。おかげで昨年10月、水際対策が緩やかになった途端に台湾からお呼びがかかり、早速イベントを実施しています。
まずは、日本という枠からはみ出し、勇気をもって世界に飛び出しっていって欲しいと願います。
泉美:かつての鈴木さんの姿が、これからの日本のバーテンダーに投影されていくといいですね。今はカウンターに立つことはなくなっても、鈴木さんによる「バーイズム」は、このホテルの根底に宿っているのが見てとれます。なによりバー業界に対しても途切れない愛を感じることができました。
そして、FBの職に着く方々にとって「総支配人」へと転身したバーテンダーの物語は憧れであり、希望です。こうした事実をここでお伝えし、鈴木さんの言葉を届けることで、ホスピタリティ業界で生きる人生を選ぶ方々の励みとなりますように、鈴木さんの人生が「夢」ではなく「目標」となることを願っています。
トラベルジャーナリスト/文筆家/写真家
泉美 咲月(いずみ・さつき)氏
1966年生まれ、栃木県出身。伝統芸能から旅までと幅広く執筆・撮影・編集をこなし、近年はトラベルジャーナリストとして活動。海外渡航歴は45年に渡り、著書には『台湾カフェ漫遊』(情報センター出版局)、『京都とっておき和菓子散歩』(河出書房新社)、『40代大人女子のための開運タイごほうび旅行』(太田出版)他がある。アジア旅の経験を活かし、2018年、自身運営の『アジア旅を愛する大人のWebマガジン Voyager』を立ち上げる。タイ国政府観光庁認定 タイランドスペシャリスト2019及びフィリピン政府観光省認定 フィリピン・トラベルマイスター2021。また、日本の医師31万人(医師の94%)が会員である医療ポータルサイト『m3.com』内、Doctors LIFESTYLE編集部にて編集部員兼、医師に向けた旅や暮らしのガイドを務めている。ホテルの扉が1軒でも開いている限り、取材を続けたいという想いのもと、コロナ禍の約3年半の間にラグジュアリーホテル他、国内外160か所を越える取材と執筆を続けた。
ブログ:https://izumi-satsuki-blog.com/
Instagram:https://www.instagram.com/satsukiizumi/
