コラム

HCJ2022 特別企画対談
HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人 楠井氏
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トラベルジャーナリスト 泉美氏


コロナ禍においての開業に折れない心で全力を尽くしたHOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人 楠井 学氏

聞き手/写真 泉美 咲月氏
ゲスト HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人 楠井 学氏
(以下敬称略)

楠井 学(くすい・まなぶ)
HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人
1973年生まれ。1994年、パークハイアット東京入社。ハイアット・リージェンシー・サイパン、グランドハイアット香港、マンダリンオリエンタル香港で海外経験を積み帰国。その後、ザ・リッツ・カールトン東京 営業部長、フォーシーズンズホテル東京 丸の内 セールス&マーケティング部長、マンダリンオリエンタル東京 副総支配人 セールス&マーケティングなどの要職を経て、2018年6月、HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人就任。

業員の前で「演じ続ける」という覚悟

本来でしたら昨年は、待ちに待ったオリンピック・イヤー。東京は勿論、各地で開業するホテルも目白押しの予定でした。とはいえ、あいにくのコロナ禍。しかし、それにもめげず立ち上げに進み、オープンを迎えたホテルも多々あります。

その中でも、私の記憶に強く残ったホテルと総支配人がいます。それが『HOTEL THE MITSUI KYOTO』の楠井 学総支配人。三井不動産グループの新たなフラッグシップとなる最上級ホテルとして、三井総領家(北家)の邸宅跡地に誕生しました。

開業1ヶ月後となる、2020年12月に取材で訪れた際、スタッフの皆さんから楠井総支配人の、常に前向きに進もうとする情熱とご努力、予期せぬコロナ禍ならではのご苦労を耳にし、ホテルを作っているのは、まさに「人」であると胸が熱くなったものです。そこで、隠れたエピソードをさらに伺いたくお訪ねしました。


(左)泉美 咲月氏(右)楠井 学総支配人。オープンして1年。自慢の庭園の緑も育ち、ホテルと共に空間の成長も見られた

泉美:初めて、こちらでお目にかかったのが昨年(2020年)9月のことでした。まだ工事の最中で、ロビー中央に『風』のオブジェが運び込まれた直後のタイミングでした。

楠井:そうでしたね。あっという間ですね。

泉美:お忙しいのは重々承知してお訪ねしたものの、とてもお疲れの様子でしたので、大丈夫なのかなと心配になりました。

楠井:それは大変失礼致しました。

泉美:いえいえ、当然です。それから開業は11月3日。ちょうどいま、1年が過ぎたことになりますが、本来のオープン日は、いつだったでしょうか?

楠井:オリンピックに合わせて夏を目指していました。それが2020年を迎えた途端にコロナで雲行きが怪しくなってきて……。工事をお手がけいただいている方々の健康面を重視し、一度完全にストップしました。結局、11月に開業が延期されましたが、辛かったですね。

泉美:ご心中お察しします。私は昨年1月の旧正月を迎えた京都に、たまたま取材に来ておりましたが、蜘蛛の子を散らすように外国人観光客が消えていくのを見ました。その途端に輸入資材が入ってこない、工事が進まないなど様々な難題が降りかかりましたね。

楠井:すべて初めての経験でした。スタート地点が変わったことで、従業員約200名と、どうやってコミュニケーションを取ろうかと。在宅にならざるをえない状況とはいえ、新入社員は70名。未経験の状況下にありながらも前を向いて、開業準備に取り掛かるのが、私の最初のミッションでした。

泉美:人と人が相対して行われるサービス業の世界で、在宅。しかも第一回目の緊急事態宣言下は、先が見えず、身動きも取れない苦しい期間でした。そんな中、どのように新入社員研修をおこなったのですか?

楠井:如何なる状況にあっても、皆のモチベーションを高めながら開業に持っていくことをとくに意識しました。全員を集めることができませんが、どうしてもというときは、広い会場を借りて、少人数ずつ対応するなど。そして、私がもっとも重要視するのがコミュニケーションですから、とにかく電話をかけまくっておりました。200人の社員一人ひとりに「新生活はどうか?」「なにか問題はないか?」と。数が数ですから、とても疲れましたが、このチームをひとつにする、全員に開業を楽しみにしてもらえる環境作りに集中して準備を進めました。

泉美:ほとんど面識のない社員と直に会ってコミュニケーションができない、仕事ぶりを見ることもできない、しかも場所もないという状況においてのメンタルを想像すると、さぞかしご心痛であったかと。

楠井:はい、本当に。実に難しい状況でした。でも、私が下を向いてしまったら、皆もうつむくばかりだと思ったんですね。ですから、人前では、かなりお気楽な人間を演じていたと思いますし、今も演じているんですけれど。実際はこれが本当の姿かもしれないですが(笑)。とはいっても、開業後の今年早々、また緊急事態宣言になりましたよね。さすがに堪えて、人前でため息をついたことがありました。すると側にいた昨年度の新入社員のひとりが「楠井さんでも、悩むことがあるんですね」って。「あ、しまった。本心を出しちゃった」と焦りました。改めて開業はしたものの、下を向いていないリーダー像を見せ続けなければいけないと思った瞬間となり心に刺さる出来事でした。

泉美:状況に合った「総支配人像」を見せ続けるのは、簡単なようで難しいことだったと思います。そうしてスタートラインを11月に引き直したものの、レストランやアクティビティの提供も含め体制は当初の100%で始められたのでしょうか?

楠井:100%のつもりでした。万全の体制を持って開業したつもりでしたが予期せぬことも多々起こり、学ぶことが多かった月にもなりました。とくにGo To トラベルキャンペーンの、ど真ん中の時にありましたから、手続きにも、対応にも追われることに。しかし、いま思うと、あの11月があったらこそ成長できた実感があります。

本人として、日本のホテルでなにができるか


『HOTEL THE MITSUI KYOTO』で最も広い213㎡、二条城を望むプレジデンシャル・スイートにて

泉美:改めて『HOTEL THE MITSUI KYOTO』の総支配人に着任したきっかけを教えてください。『パークハイアット東京』を皮切りに。これまで外資系の名だたるホテルブランドでご活躍されてきた楠井総支配人が、敢えて”三井”を選んだ理由をお聞かせいただけますか?

楠井:お声をかけていただいた際、二つ返事でお引き受けしました。それまで「日本人として、なにができるか」というのを考えていましたし、長らく外資のホテルにいた分、日本のことをわかっていないこともあり、そうした面を指摘され、ジレンマを抱え続けていました。

泉美:確かに本国の考え方を中心とする外資系ホテルの真っ只中にいるとグローバルな考え方を持てますが、一方で日本と切り離されているような状況かもしれません。では、なぜ”三井”だったのでしょうか?

楠井:実は三井不動産という会社に、ずっと憧れていたんです。東京で勤務していた『ザ・リッツ・カールトン東京』や『マンダリン オリエンタル 東京』のビルのオーナーが三井不動産でした。そのため、やりとりする機会も多かったのですが、皆さん、とても暖かく、同じ目線で話してくれる人ばかりでした。エリートばかりの集まりだと思っていたけど、こんな良い会社なんだな、人間味のある会社だなと心から感じていました。

泉美:伏線のように交流とリスペクトがあったという訳ですね。

楠井:あるとき、京都の三井家所縁の土地で、自分たちのホテルを作りたいと思っているという内容のご連絡をいただきました。しかも「一緒にやりませんか?」とおっしゃっていただいて。やらない理由はありませんでした。「ぜひ!」と即答し後から、妻に「京都に行く」と告げました。本当にびっくりされました(笑)たっぷり叱られましたけど、ついてきてくれました。

泉美:そうして、何年前に京都に?

楠井:丸三年になりますね。開業予定2年前に入社し、早い段階からプロジェクトに加わる機会を得ました。建物が立つ前から様々な意見を交わし、議論し、作り上げた貴重な経験だったと感謝しています。

泉美:開業計画のニュースを耳にした際、これだけ京都に外資系が押しかけ、オープンラッシュになっている中、正直「なぜ、三井が?」と疑問を感じました。気づけば、京都はホテルの百貨店のような状況になっていて、それぞれが”京都らしいホテル”を提案されている。しかし、取材をすればするほど「京都らしいホテルとは、いったいなんなのだろうか?」とわからなくなっていました。一方で、取材に伺い『HOTEL THE MITSUI KYOTO』として、”日本のホテル”が京都にある意味、加えて”三井”が、ここにある意義に、とことん取り組まれて開業されたと伺い、私も日本人として誇らしく、ホテルの将来を頼もしく感じました。そうした意味では、三井不動産と楠井総支配人は、どのようにブランディングを計画されたのでしょうか?

楠井:最初から同じ方向性を向いて走り始めました。私も外資で働きつつも、日本人として文化都市である京都にホテルを作る必然性を感じていました。しかも日本のブランドで京都を代表するようなホテルになることを目指す。総じて日本を代表できるホテルブランドであることを思い描いて手を上げました。ですから、三井不動産も私も、これまでブレることは、一切なかったですね。

の支えとなったオリジナルミュージックビデオ作成


従業員全員が勢ぞろいした梶井宮門前での開業記念写真。それぞれが万感の想いで迎えた2020年11月3日

泉美:再びこちらを訪れ、取材・試泊をさせていただいたのが開業からちょうど1ヶ月の12月3日でした。紅葉シーズン終盤でしたが、お客様も思った以上に他のラグビーホテル多かったようにお見受けしました。なによりスタッフの皆さんが、こうした状況下の開業にあっても明るく、伸び伸び、一生懸命お客様と仕事に向き合っている印象を持ちました。その際、実は開業前の決起集会で楠井総支配人を筆頭に全員涙なみだのスタートだったお聞きし、想像するだけで胸が熱くなったものです。そのお話しをお聞かせいただけますか?

楠井:スタッフとの記念パーティーは開業の醍醐味のひとつはでもあります。それがコロナで開催できなくなり、話し合ったところ、皆でミュージックビデオを作ろうと。そこで、一曲に合わせて全員が出てくるビデオを作りました。

泉美:そうだったんですね。おっしゃるように決起集会は従業員にとってスタートラインですよね。まさかそれが奪われるってことは誰も予測してなかったですしね。どのように上映されたのですか?

楠井:ロビーに大きなスクリーンを運んで、ソーシャルディスタンスで完成形を観ました。以来、辛いことがあったときに見ています。パーティーはできませんでしたが、みんなが一つになったのは間違いなく、私も泣きましたけど、皆も泣きました。

泉美:ただでさえ辛いコロナ禍でした。自由が奪われ、会社に行くことも学校に行くこともできない。ましてや旅をすることもできない現実に見舞われました。なかでも旅行業界と飲食業界は、働く場所も、情熱も、希望も、もぎ取られた部分が非常に大きかったですしね。

楠井:本当にそうでした。開業日の11月3日、梶井宮門の開門式を12時に行う予定を立てました。ホテルの門が開くというのは、私たちにとっては大切なことですが、お客様にとっては、どうかな?と疑問ではありました。意に反して、門前に多くのお客様が駆けつけ、待っていてくださったと知ったとき、嬉しかったですね。

泉美:逆境の中での開業、そこから1年が経って『HOTEL THE MITSUI KYOTO』のカラーがより濃くなったと思いますが、どんな特徴はありますか?

楠井:まず、ホテル業界の中では、離職率がとても低いと思います。とくに現在、サービス業界に疑問を持って辞めていく人が多い中で、数字として結果がでているのは、とても嬉しいことです。

泉美:コロナ禍を経て、サービス業に戻ってこないのではないかという危機感がある中、国内トラベルバブルが弾け、さらにインバウンド戻ってきたら、受けくれるのかという不安を感じています。その点、ここはコロナを経た開業で強くなれたのではないでしょうか。

楠井:そうかもしれないですね。もちろん、やめてしまう人もいますが、随分、定着率が高い方だと思っています。

泉美:なによりですね。それも楠井総支配人のご人徳と皆さんの結束力かと思います。ワクチン接種率が日々上り、感染者数も減ってきたいま、これからは希望だけで進めるじゃないですか。よりアグレッシブに進んでいっていただきたいし、ここからが本領発揮だなと、私は期待しております。

楠井:いえいえ、私よりも本当に素晴らしいチームメイトがしっかりしてくれているので。皆、本当に有能ですからね。

泉美:スタッフに恵まれる、それがなによりの宝ですね。ホテルは、なにで作られてるかと問われれば、人だと答えます。

楠井:本当そうですよね。

泉美:その意味でも、『HOTEL THE MITSUI KYOTO』と楠井総支配人の両方から感じさせていただきました。ありがとうござました。ところで、”総支配人”は、なにをする人だとお考えですか?

楠井:ムードメーカーだと考えています。目指している総支配人像としては、私が現場に行くことで、皆を緊張させるような職場は絶対に避けたいと心がけています。

泉美:医療ドラマの教授回診のようではなく、ということですね。

楠井:そうです、私の顔を見て、皆が明るい気持ちになってくれたらと。

泉美:今日、総支配人に会えた! 嬉しい! そんな風に相思相愛になれたら最高ですものね。

楠井:そして、「こんな事あったんですよ」と気軽に話しかけてくれるような環境作りも意識しています。

泉美:それは、リラックスしてお客様をお迎えするという意味ですか?

楠井:そうですね。楽しい気分じゃないとお客様とも楽しく、思いやりを持って接することはできないと思います。

泉美:確かにパワーハラスメントのなか、声すらあげられず、辛い職場で、お客様を前にして笑えって言っても無理ですよね。サービス業以外でも同じだと思います。

楠井:だからこそ、総支配人として意識すべき点だと思っています。またビジネスや運営の面から言うと、妥協しない点も心がけています。

泉美:最後にお尋ねしたいのですが、数あるラグジュアリーホテルの中で、どういうホテルを目指しておいでですか?

楠井:月並みかもしれませんが、お客様に「また、来たいな」と思っていただくのが大前提であり、リラックスしていただけるホテルを目指しています。これまでの日本のホテルには、どこか、かしこまった雰囲気がありました。しかし、ここでは敷居を感じさせることなく、従業員とも打ち解けていただき、お客様と距離の近い関係性でありたいと。これを「リラックス ラグジュアリー」と呼んでいますが、心の底からリラックスできるようなラグジュアリーホテル体験をご提供できればと努めています。

泉美:確かに、私も2度3度と、こうしてお伺いしておりますから、すでに「リラックス ラグジュアリー」をご提供されているかと感じます。今日、初めてミュージックビデオを拝見し、かっこよくて、温かくて、ホテル愛、人間愛に満ち溢れた映像に感涙いたしました。今後の成熟を楽しみに見守らせていただければと願います。

トラベルジャーナリスト/文筆家/写真家
泉美 咲月

1966年生まれ、栃木県出身。伝統芸能から旅までと幅広く執筆・撮影・編集をこなし、近年はトラベルジャーナリストとして活動。海外渡航歴は44年に渡り、著書には『台湾カフェ漫遊』(情報センター出版局)、『京都とっておき和菓子散歩』(河出書房新社)、『40代大人女子のための開運タイごほうび旅行』(太田出版)他がある。アジア旅の経験を活かし、2018年、自身運営の『アジア旅を愛する大人のWebマガジン Voyager』を立ち上げる。タイ国政府観光庁認定 タイランドスペシャリスト2019及びフィリピン政府観光省認定 フィリピン・トラベルマイスター2021。また、日本の医師30万人(医師の94%)が会員である医療ポータルサイト『m3.com』内、Doctors LIFESTYLE編集部にて編集部員兼、医師に向けた旅や暮らしのガイドを務めている。ホテルの扉が1軒でも開いている限り、取材を続けたいという想いのもと、コロナ禍においても一時期を除き、週に1記事の頻度でラグジュアリーホテルの取材・執筆を続けている。

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