コラム
HCJ2023 特別企画対談
バンヤンツリー・グループ ディレクター
ビジネスディベロップメント&マーケティングコミュニケーション 廣谷麻子氏
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トラベルジャーナリスト 泉美氏

聞き手/写真 泉美 咲月氏
ゲスト バンヤンツリー・グループ ディレクター
ビジネスディベロップメント&マーケティングコミュニケーション 廣谷麻子氏
(以下敬称略)
HCJ2023 特別企画対談スタートに寄せて
「HCJ2022」に引き続きまして特別企画対談のファシリテーションをさせていただきます、トラベルジャーナリストの泉美 咲月です。幸いにして昨年に比べてアクティブになった日常と心持ちで「HCJ2023」が、無事2月7日から2月10日に開催されました。
なにより印象に残っているのが「HCJ2023 合同開会レセプション」へとお集りになったホスピタリティ業界の皆様、そして開催期間中に会場へと足を運ばれた皆様の明るく楽しそうな笑顔です。それは、「自由とはなにか」、「旅するための安全とはなにか」を、とことん考えさせられることとなったコロナ禍の終わりを予感させる瞬間でした。
そして、4月29日午前0時以降、日本への入国制限がすべて解除となり、これを持って新型コロナウィルス感染症による水際対策は終了。追って5月5日、WHOより「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言終了が発表されました。
やっと悲願であった世界への扉が大きく開け放たれ、国内外においてトラベルバブルが本格的に始まったこととなります。一方で、コロナ禍によってさらに致命的となった人材不足。加えてホスピタリティ業界の雇用体制の変革。そしてSDGsへのミッションと、今すぐ取り掛かるべき問題は、山ほどあり、どこから手を付けて良いのか、わからない状況下にあります。
しかしながら、この約3年半を無駄にすることなく力に変えて、新しい時代を作るお手伝いをさせていただきたいと願っております。
そこで次回「HCJ2024」に向けて、私が実際に取材し、お逢いし、なかでも素晴らしいホスピタリティを持つ方々であり、新時代の開拓者の皆様を引き続きお招きし、本年もお話しを伺って参りたいと思います。本年度もよろしくお願いいたします。
「人」がホテルを体現し、ブランド力を高めるという意義
さて、取材をさせていただく側にある私にとって、その窓口であり、ホテルブランドの語り部となる広報やマーケティングご担当者は、云わば「パートナー」と考えます。また、ホテルを体現する「先鋒」といって過言ではありません。やはり大切なのは「ホテルブランド(器)」ではなく「人」なのです。
同じ、もしくは似た熱量のある方と出逢ってこそ、我々メディアは「使命」を持ちます。逆を言えば、「人」が、広報活動の幅を左右するといってもいいでしょう。「人」が放つ「愛」によってホテルや飲食店は、輝くのです。
そこで、11年に亘って私の取材の「パートナー」を務めてくださっているバンヤンツリー・グループのディレクターであり、ビジネスディベロップメント&マーケティングコミュニケーションの廣谷麻子さんをお招きいたしました。

旗艦ホテルとなる『バンヤンツリー・プーケット』は、「五感の聖域(Sanctuary for the Senses)」をコンセプトに1994年に開業した
2024年、『バンヤンツリー・東山 京都』がコロナ禍により当初より2年遅れで開業及び初上陸を迎えます。現在、世界で29軒を展開するラグジュアリーホテルブランド「バンヤンツリー」ですが、1994年、旗艦ホテル『バンヤンツリー・プーケット』(タイ)の開業から数えてちょうど30年目となる来年、この日本で、新たな一歩を踏み出すこととなったのは、むしろ記念すべきタイミングだと感じています。
2022年6月には、姉妹ブランドである「ギャリア(Garrya」「ダーワ(Dhawa)」(ギャリア・二条城 京都/ダーワ・悠洛 京都)が京都に揃って上陸。そうして満を持しての本家「バンヤンツリー」の日本初進出の脇を固めます。

(中央)『ギャリア・二条城 京都』『ダーワ・悠洛 京都』の開業に駆け付けた創設者『バンヤンツリー・ホールディングス』会長 ホー・クウォンピン氏。共同創設者兼上席副社長であり、夫人のクレア・チャン氏。(左)東洋大学国際観光学部国際観光学科 徳江順一郎准教授(右)泉美 咲月
カウントダウンが始まった今、人々が固唾を飲んで見守るなか外枠が見え始めてきた、このホテルブランドの、これまでとこれからを廣谷さんにお伺いします。
「バンヤンツリー」に見る、おもてなしとサステナブルとは?

廣谷 麻子
バンヤンツリー・グループ ディレクター ビジネスディベロップメント&マーケティングコミュニケーション
1980年生まれ。金融業界を経て2007年1月、バンヤンツリー・グループ日本支社入社。日本支社代表のアシスタントとして秘書業務や日本でのホテル開発事業など幅広く経験。2012年1月より日本と韓国のPRを担当することとなり、グループ全ホテルのメディア向けPR、取材手配、プレス説明会など経験を積み2016年にシニアPRマネージャ―就任。2020年1月より現職のディレクターとなりPRマーケティングに加え再び日本でのホテル開発事業を担う。2022年6月にダーワ・悠洛 京都、ギャリア・二条城 京都の開業で日本へのグループホテル初進出を果たした。
泉美:私にとって廣谷さんと出逢ったきっかけとなる2012年のタイ取材は、以降、ラグジュアリーホテルを本格的に取材し、取り組んで行こうと決意するきっかけになった機会でした。
タイのホテルのホスピタリティと広報活動の取り組みに触れなかったら、私は、今日まで取材を続けてこなかった気がしますし、取材する上での指針にならなかったと思っています。当時、タイ国内の10軒のホテルを取材し、それ以後も取材を続けているホテルブランドは3つあり「バンヤンツリー」も、そのひとつです。
廣谷:当時、ご取材いただきました『バンヤンツリー・バンコク』に始まり、泉美さんには、マカオ、ベトナムのランコー、プーケット、クアラルンプールと各地をご取材、しかもプロパティによっては複数回、私共のホテルを取り上げていただいております。
私もよく覚えておりまして、事前の準備、時間帯、スケジューリングを含めてきっちりされる方という印象を持ちました。現地にも心してお迎えして欲しいとリクエストをしたほどです。ご取材後、出来上がってくる原稿に至るまで、とても丁寧に最後まで取り組んでくださいました。

小柄でチャーミングながら、強い意志とバンヤンツリーへの大きな愛を持って仕事に取り組む廣谷さん
泉美:それは、まだ少し若くて、体力も情熱も倍ぐらいあったからだと思います(笑)。
今、廣谷さんにそう言われて、ハッとしました。コロナ禍となり国内のホテルしか取材できなくなったことにより、日本の取材体制に妥協するようになったといいますか……。正直、「日本国内のホテルでは、これくらいの取材しかできない」と考えるようになりました。
国内のホテルの皆様は、お気づきにならないかもしれませんが、海外、とくにアジア圏のラグジュアリーホテルの取材体制と比べると日本は、取材の受け入れ態勢も、コンプリメンタリーも、一部のホテルを除き、実は大きく見劣りしているというのが、私自身の知見で言い切れることです。
また、廣谷さんが丁寧に応じてくださったからこそ、取材から執筆まで完走することができた上、「またバンヤンツリーを取材したい!」「次はここに行きたい!」と以降、度々廣谷さんにリクエストするようになりました。海外取材こそ、信頼関係がないと続けられないものです。廣谷さんだったからこそ、私を動かしてくださったと感謝しています。そして、それがこの対談にお招きした大きな理由です。
そして、もうひとつの理由といたしましては、新ブランドの上陸に、既存の外資・ドメスティックのホテル問わず、ある意味、危機感を持ち、一方で取り入れられることは、今すぐ吸収し、実践していただきたいということにあります。
では、改めてですが、廣谷さんが「バンヤンツリー」に入社した経緯をお聞かせください。
廣谷:大学卒業後、金融会社で国際業務に取り組んでおりましたが、5年後10年後の自分の姿が見えてこないことに気づき退職いたしました。とはいえ、転職先や目標があった訳ではありません。1年程、旅をしたり自分のために時間を使ったりしておりました。その間、もともとホテルが好きだったので、ホテルに勤めたいと考え、周囲に話していたところ、「バンヤンツリー」の日本支社ができ、求人を募集していると耳にしました。
泉美:すでに「バンヤンツリー」はご存じだったでしょうか?
廣谷:それがお恥ずかしいことに知らず、宿泊したこともありませんでした。ですが面接に行き、「こんな素敵なホテルがあるんだ!働きたい!」と強く志願したのです。その際、応対してくれたのが現・日本事務所代表の椎名祥子で、その場で採用が即決、翌日から出社となりました(笑)。当初は椎名のパーソナルアシスタントという役職でした。
泉美:電撃的な廣谷さんと「バンヤンツリー」の出逢いから、すでに16年の月日が流れました。
「バンヤンツリー」といえば、その名の通り「菩提樹」の木のように旅人を癒し、日常へと送り出すホテルブランド。アジアを中心に各地の文化や地域性を取り入れ、独自のスパ&ウエルネスでおもてなしをするアジアを代表するリゾートホテルに成長しました。
そして、取材をさせていただく立場から申しますと「バンヤンツリー」の広報の在り方は、ぜひ日本のPRの皆様に真似ていただきたいところです。

タイの伝統療法、さらにアロマテラピーやフラワーセラピーなどを加え、東洋と西洋の癒しを融合させボディセラピーを「トロピカル・ガーデン・スパ」を提案。タイのスパ文化の先駆者となった
例えば「バンヤンツリー」を代表するスパの撮影も大変スムーズでマニュアル化されています。モデルを務めるセラピストが各スパに数名スタンバイしています。度々訪ねるので顔なじみになるほど(笑)。
メニューで使われる花々やプロダクトの準備も万全です。いつ行っても美しい写真が撮れ、ホテルでスパを利用することを推奨したくなる取材が待っています。もちろん、廣谷さんの事前のハンドリングのおかげでもありますが、なにも言わなくても用意してくださる安心感のもと、渡航できるので助かります。

『バンヤンツリー・プーケット』のスパ取材にて撮影。メニューで使われる食材や花などが美しくディスプレイされ、取材する側のテンションも上がる
廣谷:ありがとうございます。フラッグシップとなる『バンヤンツリー・プーケット』に隣接してセラピストを養成する『バンヤンツリー・スパ&ウェルビーイング・アカデミー』があり、インドネシアのビンタン島、中国の上海にはトレーニングセンターを設け、私共のおもてなしの要であるスパにおける高い技術力の統一化を目指しております。
取材体制も、『バンヤンツリー・スパ&ウェルビーイング・アカデミー』の教育を受けた各ホテルのスパマネージャーが采配し、各国からお越しのメディアの皆様に対応させていただいております。
昨年、開業した『ダーワ・悠洛 京都』の「エレメンツ・スパ(8LEMENTS SPA)」のセラピストもオープンに伴いプーケットで研修を実施。さらに現地からもトレーナーを招いて訓練を重ねております。次に控える『バンヤンツリー・東山 京都』の「バンヤンツリー・スパ」のセラピストも同様にこれからトレーニングを重ね、開業を待つことになります。
実は先に「バンヤンツリー・スパ」が宮崎県の『シェラトン・グランデ・オーシャンリゾート』に上陸しておりますが、コロナを経てセラピストの顔ぶれも変わりつつあり、再度、トレーニングを再開する機会を迎えています。
泉美:渡航が自由になり始めたからこそ、ますます楽しみですね。『バンヤンツリー・スパ・アカデミー』によって構築されたトレーニングメニューがあるからこそ、お訪ねする各国のスパのクオリティが一定という結果を出ているといえるでしょう。
さて、そうした待ちに待った日本上陸を控えてパンデミックの渦に飲みこまれてしまう訳ですが……。京都への初上陸の正式発表が2019年3月、それから1年足らずで時代が大きく変化しました。
コロナ禍で模索したもの、得たもの
泉美:増えゆくインバウンド、東京オリンピック開幕に向けた準備と、なにもかも順風満帆に見えた2020年初頭、世界は一気に扉を閉ざし、旅どころか外出までも制限される時代に突入してしまいました。日本はもちろん、各国で進めていた開業も当然ながらストップすることとなりました。
廣谷:会長を先導にグループ全体で話し合った結果、私共が導き出したのが「コンバージョン」でした。一からホテルを作り上げることも大切ですが、終息は見えない状況だからこそ、取り組む必要のあるミッションでした。
その「コンバージョン」とは、私達が最も大切にしているサステナブルな開発です。
泉美:『バンヤンツリー・プーケット』は、そもそもホー・クウォンピン氏が当初、別荘として手に入れたものの、実は錫に汚染された土地であったことがわかり、私財を投じて浄化、開発を進め、開業にこぎつけたことで知られています。
廣谷:荒れ果てた土地を除染し、7000本の植林を行うなどの10年の歳月を費やしホテルを建てました。しかし、今回のコンバージョンとは、すでにある建物を壊さず、使えるものは使う「持続可能なホテル作り」を目的とするものです。
例えば、コロナ禍で立ちゆかなくなったホテルブランドチェーンを私達のブランドグループのマーケティングが入ることによって生き返らせ、繋げるという役割が「コンバージョン」です。その一環として2021年に生まれたのが「ギャリア(Garrya)」「ホーム (Homm)」「フォリオ(Folio)」という3つのブランドになりました。
泉美:そうして、「ギャリア(Garrya)」と、すでにあった「ダーワ(Dhawa)」と共に日本に上陸することになります。以前、同じアコー・グループの別ブランドだったホテルが『ギャリア・二条城 京都』、『ダーワ・悠洛 京都』にリブランドされ、大変驚きました。
廣谷:前ホテルが2022年2月14日に営業終了、一か月でプレオープン、そして6月17日にグランドオープンとなりました。それも、一からのスタートではなく、2019年、2020年に開業したばかりの両ホテルのリブランドだからこそ実現できたことです。
実際、各ブランドのイメージカラーをタッチアップしたものの、捨てる、壊す必要のない施設やインテリアを続けて使用する。これこそ、私たちが重要と考えるホテルのコンバージョンのあり方なのです。
泉美:パンデミックにより世界の多くのホテルが廃業に追い込まれました。だからこそ、余力と志のあるホテルが取り組むべきSDGsの筆頭が「コンバージョン」なのですね。
さて、紆余曲折はあったものの、いよいよ『バンヤンツリー・東山 京都』開業が近づいていますね。改めて「バンヤンツリー」の信念をお聞かせください。

2020年にはご長男を出産。コロナ禍でリモートワークに一転したことで女性が育児と勤務を両立できる時代にもなったのは幸いともいえる
廣谷:先ほども申しました通り、『バンヤンツリー・プーケット』の開業以来、私共は、地球に優しく、持続できるホテル開発と運営を信念として参りました。
次々にホテルを作り、グループを広げることを目的にするのでなく、運営し続けるからこそ価値があると考えます。だからこそ、最初の企画・開発の段階から、いかにランニングコストを抑えられるか、いかにCO2を少なく済ませ電気を節約できるかなど、様々気を配ります。
泉美:SDGsというミッションが掲げられる前からの「バンヤンツリー」の取り組みですね。私は、「バンヤンツリー」や他のリゾートホテルブランドを訪ねることで、ホテルが取り組むべきSDGsを学ばせていただいたと捉えています。
自然や動物を保護し、現地と人と共存するということ。ホテルが地域振興、地方創生を担うことを開業時から取り組んでこられて、枚挙に暇がありません。そうした取り組みとホスピタリティが合致して初めて、お客様にとっても価値あるホテルである時代です。
では、最後に廣谷さんご自身の開業に向けたお取り組みをお聞かせください。
廣谷:お陰様でバンヤンツリー・グループから生まれたブランドは全部で10個となりましたが、まだまだ日本での周知は低く、今後の課題点です。私の第一任務といたしましては、まず一人でも多くの方にバンヤンツリーを知っていただくことが大切と考え、さらに広報活動に力を注いでいきたいと考えています。
また、初上陸は喜ばしいことですが、未知な分、働いてくださる方々のマインドも一から育てていかなくてはなりません。微力ながら私がこの16年間で学んだ経験をもとに日本における「バンヤンツリー」の成長に努めて参ります。
撮影協力:パークホテル東京 https://parkhoteltokyo.com/ja/
トラベルジャーナリスト/文筆家/写真家
泉美 咲月(いずみ・さつき)氏
1966年生まれ、栃木県出身。伝統芸能から旅までと幅広く執筆・撮影・編集をこなし、近年はトラベルジャーナリストとして活動。海外渡航歴は45年に渡り、著書には『台湾カフェ漫遊』(情報センター出版局)、『京都とっておき和菓子散歩』(河出書房新社)、『40代大人女子のための開運タイごほうび旅行』(太田出版)他がある。アジア旅の経験を活かし、2018年、自身運営の『アジア旅を愛する大人のWebマガジン Voyager』を立ち上げる。タイ国政府観光庁認定 タイランドスペシャリスト2019及びフィリピン政府観光省認定 フィリピン・トラベルマイスター2021。また、日本の医師31万人(医師の94%)が会員である医療ポータルサイト『m3.com』内、Doctors LIFESTYLE編集部にて編集部員兼、医師に向けた旅や暮らしのガイドを務めている。ホテルの扉が1軒でも開いている限り、取材を続けたいという想いのもと、コロナ禍の約3年半の間にラグジュアリーホテル他、国内外160か所を越える取材と執筆を続けた。
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